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バンクーバー・オリンピック開催中,テレビではニュース番組の時間をずらして競技が生放送され,新聞・ネットでも日本人の活躍や成績が時間をおかずトップで報道されています。
世界中のトップ・アスリートが繰り広げるパフォーマンスは,息をのむほど美しく感動的です。その“神業”を超えるほどの技量や精神力を習得するための本人のすさまじい努力や,それを支える人々やチームのパワーなどを併せ考えると,楽しみが増し,称賛の気持ちはさらに大きく深くなります。
戦後しばらくは,オリンピックはアマチュアリズムに徹し,「参加することに意義」があるのであって,勝敗は二の次だとされていました。ところが,1984年のロスアンジェルス大会から大幅にコマーシャリズムとマネジメントが採り入れられると同時にプロ/アマの規定も少しずつ取り払われ,結果,勝敗が重視されるオリンピック・ゲームスとして大きな成功を収めました。この動きと並行して経済的・政治的な要素が強くなり,国家やメディア,ジャーナリズム,企業間の競争が激しくなってきたようです。
それと軌を一にして,JOCや報道機関,さらには国民も“メダル主義”に傾いてきました。しかし,メダル候補のいない競技もたくさん行われています。また,オリンピック出場を目指して頑張ったけれども届かなかった選手,あるいは心身に傷を負った選手も大勢いいるはずです。さらには,日常のスポーツや健康づくりに励んでいる無数の人々も存在しています。そのことを忘れて,頂点であるオリンピックのメダルだけにこだわるのは本末転倒というものです。
『オリンピック憲章』には,「オリンピズムの根本原理」を“オリンピズムの目標は,スポーツを人間の調和のとれた発達に役立てることにある。その目的は,人間の尊厳保持に重きを置く,平和な社会を推進することにある”とし,“スポーツを行なうことは人権の一つである”と謳っています。たしかに,今現在,戦争状態にある国の選手も一堂に会して競技を正々堂々と展開することは驚異的であり,オリンピックの意義深さに思いを致さざるをえません。だからこそ,オリンピズムの目標を大切にし,オリンピックは人類一人一人の努力の成果だという視点を確かめておく必要があると思います。
古代オリンピックも,大規模化や,祖国での優勝者への過剰な褒章,さまざまな不正の横行などで腐敗し,最後にはキリスト教の影響で廃止に至ったとされています。ロス大会以降の豪華絢爛たるオリンピックを見るにつけ,この轍を踏まないようにしてほしいと思うのです。過度な商業主義やメダル主義を排し,“オリンピズムは人生哲学”であるというオリンピック憲章の理念に一歩でも近づくことができるよう,全世界が協力し合うときではないでしょうか。
(龍門 歩)
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