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テレビ技術の草分け的存在である日本ビクターが、日本国内向けテレビの生産、販売から撤退するというニュース(日本経済新聞:08年4月16日付朝刊)に接し、いかなる個人的関係もあるわけではありませんが、小生は少々動揺しました。
というのも、テレビについては、ブラウン管による送受信に世界で初めて成功した高柳健次郎氏がビクターに在籍していたので、厚い信頼を置いていました。だから、初めてカラーテレビを買うときにはビクターを選び、以来、現在の液晶テレビに至るまでビクター・テレビを使いつづけています。
また、オーディオに関しては、音楽ホールに演奏家やオーディオ・音楽評論家らを招き、生演奏からビクター製のステレオに切り替えたタイミングを当ててもらうイベントで、ほとんどの人がわからなかったという新聞記事を読んで驚きました。それで初めてのシステムコンポ以来、かなり長い間ビクター製品を使っていたのです。
そんなこんなで思い入れのあるビクターが、松下電器系列からケンウッド系列に移行し、さらにテレビを海外と業務用に限定するとは……。
ソニーのドコモ向け携帯・ロボット事業等々からの撤退、パイオニアのプラズマテレビ用パネルからの撤退、さらには富士重工の軽自動車からの撤退など、日本の産業界に大企業の淘汰という地殻変動が生じています。日本市場の縮小化やBRICsの追い上げをはじめ、多くの分野において世界全体から激しい荒波を受けている証でしょう。
市場経済である以上、利益・効率追求、不採算部門からの撤退、得意分野への特化、事業計画の見直し等は当然の企業行動です。ただ、高度経済成長からバブル全盛期を経験した日本は、いってみれば“箱入り娘”みたいなもの。弱肉強食の市場経済の歴史が長く、戦術や戦略に長けた百戦錬磨の世界企業と対等に渡り合えるか心配です。
一方で、事業の撤退や縮小による雇用環境の悪化・低賃金、格差拡大、さらには政治による福祉の切り捨て。これでは人心が荒廃し、社会秩序が乱れないわけはありません。
世界的に見ても、利益至上主義がはびこって企業倫理は地に墜ち、人倫も、殺人や地域紛争、テロ、イジメなど日常茶飯事、まさに崩壊の危機に陥っています。
市場経済は、日本を、世界を、否、人類をどこへ連れてゆこうとしているのでしょう? 産業革命以来、市場経済は物理的に地球環境を傷つけてきました。そしてさらに、コンピューターによる情報革命が人の心を破壊しようとしている、そんな気がして仕方がありません。これは誕生以来、破壊と殺戮と建設と再生の歴史を刻んできた人類が、新たな局面に立たされていることを意味しているのではないでしょうか。
市場経済は少なくとも現在、人類社会をダイナミックに動かしてゆくために必要かつ有効なシステムだと思います。しかし、その運営に、心を、人類愛を採り入れるというのは、無理なのでしょうか? 企業活動と人の心とは相反するものなのでしょうか? 不可能なのでしょうか? 無駄なのでしょうか?
古いようですが、小生は、けっきょくそこにしか活路はないような気がします。
みなさんは、どうお考えですか?
写真:ビクター製の液晶テレビ。画面はディスカバリーチャンネルHD番組より。

(龍門 歩)
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