東京に温泉乱立
〈乱気流No.32/07年4月号〉


 終戦間もないころ,硫黄のにおいと水蒸気に包まれた山深い雲仙地獄へ,父に連れて行ってもらったことをよく思い出します。そのときは,ホテルの温泉に入ったのに日帰り入浴で,とてもがっかりした記憶がありますが,以来,雲仙地獄が僕にとって温泉の原風景となっています。ですから,東京のお台場や,浅草,六本木などで温泉が出るとは,想像だにしませんでした。
 ところが,今は都内の至るところで温泉が掘削され,公衆浴場や銭湯としてたいへんな人気スポットになっているようです。そんな意外な事実に驚いていたら,知人から,わが家のすぐ近くに温泉が湧き出(い)で,数ヵ月前にオープンしたと聞いてびっくり! 日帰り温泉で幼心を痛めた小生も,“話の種”にとクルマで行ってみました。
 場所は,50年ほども前から知っている,かつて電力会社の資材置き場だったところでした。最近も,その道路はしょっちゅう走っていたのですが,運転中はよそ見をしないため(ほとんど本当です(^^;),気付かなかったのです。2階建て180台収容の駐車場があり,建物外観は写真のとおり簡素ですが,それなりに雰囲気づくりに苦心したあとを見てとることができます。
 当日はウイークデイの昼下がりだというのに,たくさんのお客でにぎわっていました。自分のクルマで来るだけでなく,タクシーでお出ましのご婦人を目撃して仰天。客層は,やはり中年・熟年の女性が中心ですが,老壮年男性から若い男女までと幅広い。内部はまるでホテルのようで,広いロビーから廊下を通って男女それぞれのスペースに。湯は、普通の湯舟から,ジェットバスや岩風呂,壺湯,その他さまざま。さらに,源泉かけ流しの露天風呂が中庭にあり,塀1枚隔ててクルマが行き交ってるとは思えない風情です。小生が浸かった時は,露天風呂の上に枝を伸ばしている桜の白い花が,湯気の温度のおかげか,地域の他の桜に先駆けて満開でした。
 東京の温泉を調べてみると,ネットに掲載されているだけで区部は18区に70軒ほど,多摩地域に50軒ほどもありました(実際はもっと多いでしょう)。居住地のすぐ近くで,サービス満点の温泉を満喫することができるというわけです。
 小生も,自宅から車で5分の温泉で手軽に暖まったわけですが,遠くの温泉郷まで赴かなければならなかった時代と引き比べると,なんだか味気なく,ありがたみが薄れてしまった感があります。このような観光温泉は,風呂の種類もゲルマニウム温浴,サウナ,水風呂,エステ,あかすり等々,バラエティーに富んでおり,客をもてなす設備も駐車場,食事処や喫茶室,宴会場,タイムカプセル風宿泊施設など,至れり尽くせりのようです。ところが,「お犬様専用温泉」を目にしたとたん,疑問がふくらんできました。日本の人々は人間の実相から目を背けて,“ぬいぐるみ文化”ともいうべき幼稚でお手軽な仕掛けに踊らされているのではないか? コンピューター時代のバーチャル感覚の延長線上で,天然自然や人類社会の真の姿,怖さ,奥深さ,広大さを見失ってゆくのではないか?
 そんなことを考えはじめたら,温もりが悪寒に変わってきました。

(龍門 歩)


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