相対性理論より難しい文章校正
〈乱気流No.21/06年06月号〉


『朝日新聞』2006年5月10日付夕刊より


 この記事で驚いたのは,「(教科書会社)51社のうち,校正・校閲の専門担当者がいる社は4社」という現実です(ちなみに、「教科書会社」という表現にも違和感を覚えます。「教科書出版社」と表現するのが適当ではないでしょうか)。「校正」の大切さ・怖さを知らない世代が教科書出版社を経営しているか,経営効率のためにそうしているということでしょう。しかし教科書であればなおさら,校正は一般出版物よりはるかに厳密に行なわれるべきです。それなのに,「校正専門係」を置かないとは考え違いも甚だしい。真の校正は、片手間でできるような安易な作業ではないのです。
 文化は文字によって継承され,文字によって進化する部分が多いのです。校正とはこの文字に係る仕事なのであり,文化の一翼をになう非常に重要な仕事なのではないでしょうか?
 ところが,校正は昔から蔑ろにされる傾向があります。なにしろ,鉄棒の大車輪は誰にも真似できるというわけにはいきませんが,校正の「真似事」なら誰でもできますから。その軽視の歴史は,校正料の驚くべき安さにも表われています。しかも現代はPCで原稿を書く時代,誰もが難しい漢字を使うことができる反面,書く側も読む側も誤変換や誤用に気付かないケースが多くなっています。たとえばテロップなどでは「今だに」などが平然と通用していますし,先日は「彫刻を掘る」と画面に流れて唖然としました。このような誤植・誤記・誤用は,大新聞の記事から老舗の出版社の書籍,テロップ,広告文などまで溢れ返っています。
 校正はほんとうは,若いときから文字を書き,さまざまな分野の書籍をたくさん読んだ人によって,はじめて可能になる高度な仕事なのです。国語における広く深い強靱なバックボーンをもつ人が、厳しい習練を積みながら行なうのが校正なのです。
 ブログをはじめネットのおかげで,リアル/バーチャル問わず,かつてないほど文字は氾濫し,活気に満ちています。そのこと自体は,コミュニケーション・ツールとしての「文章」と、それによって築き上げられる文化がいっそう大きな役割を果たし続けることを示しており,とても歓迎すべきことだと思います。この状況を生かし,若い世代にも健全な「言葉」が承継されるよう,みなで知恵を出し合う時期に来ているのではないでしょうか。

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