駅から時計がなくなった
〈乱気流No.16/05.12月号〉


 人通りの少ない道路や公園、もちろん繁華街、歩道にも、また駅の構内にもホームにも設置されていた公衆電話が、猛烈なスピードで携帯電話が普及したせいで、あっという間に消えてしまいました。もはや、否が応でも携帯電話を携帯しなくてはとても生活できない状態です。
 携帯電話では、いまや秒単位まで時刻が表示されます。だから小生は外出するときも、手首に違和感のある腕時計をしなくなりました。しかし、長年の習慣で、駅に着くと時計を探します。つい3〜4年前までは、(それより以前に流行った)機械式ディジタル時計ではなく)円いアナログ式文字盤時計が駅のあちこちに設置されていたからです。ところが、今はどこを見ても見当たりません。そうです、いつの間にか駅から文字盤時計がなくなっていたのです。いや、以前はビルなどにも時刻表示ディスプレイがたくさんありましたが、それらも姿を消しています。なるほど、ほとんどの人が正確無比の腕時計を持っていたり、携帯電話を持っていたりするから、必要がなくなったのですね。
 それで、小生もしかたなく携帯電話を取り出して時刻を確認しますが、ちょっと面倒です。ふと見上げればどの瞬間でも時計が見つかった、ひと昔前の駅ホームが懐かしくなったりします。

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